そしてたどり着いたSバーン(近郊電車)『Charlottenburg-シャルロッテンブルク駅』。
ちなみにUバーンってのもあって、それは地下鉄。到着が夕方、ホステルは駅の目の前の通りにあって嬉しかったけど、部屋がエレベーターなしの4階(日本でいう5階)で・・・・疲れたので今日の観光はなし。周辺にデパートやらスーパーなどがあるのでチラ見して明日の朝ご飯用のパン買って、夕食を済ませた。で、ホステルに戻ってMAPとにらめっこして、明日どう回るかを考えて就寝しました(-_-)゜zzz…
今回のホステル。外観がハデっっ!!!
ジャックが描かれています☆
翌日、ちょいと早起きして観光に出ます。ベルリンの観光はほとんど黒い過去のものばかりです。
ちょいと距離はありますが、公共機関は一切使わないと決め歩き出します。
それでは写真で一緒に観光していきましょうっっ!!!!
左から、EU・ドイツ・ベルリンの旗
『Siegessäule-ジーゲスゾイレ』
1865~73年に建てられた高さ67mの塔の上に金色の勝利の女神ヴィクトリアがそびえ立つ。1864年の対デンマーク戦争、1866年の対オーストリア戦争、1870~71年の対フランス戦争の勝利を記念して建てられたもの。
『Reichstag, Deutscher Bundestag-ドイツ連邦議会議事堂』(帝国議会議事堂)
1844~94年に建てられた重厚で威厳のある帝国議会議事堂は1933年に炎上。第2次世界大戦後は西ドイツ側にあったが議会としては使用されずにきた。東西ドイツ統一後、8年をかけた大改築を終え、屋上にあるガラス張りの中央ドームの中を見学できるようになった。(入場無料)
混み合っていたため中には入りませんでした。
『Brandenburger Tor-ブランデンブルク門』
1788~ 91年にプロイセン王国の凱旋門として、アテネの神殿の門を手本に建てられたもの。ドイツ古典主義建築の傑作と言われている。門の上の勝利の女神と4頭立ての馬車カドリガは1806年にプロイセンを破ったナポレオンがパリへ持っていったが、1814年にベルリンに戻った。東西分裂時代は門のすぐそばに壁が築かれていたため門をくぐることはできなかったが、今では誰もが通れるようになった。
ベルリンの壁に描かれている絵を再現したもの。
デザイン・ベアが沢山います。(ベルリン市旗のベア)
国境を越える女性の写真。
『Berliner Dom-ベルリン大聖堂』
ホーエンツォレルン王家の墓所がある。高さ114mもの大天蓋は第2次世界大戦で大被害を受け、1993年に内部の修復が終わった。
ホーエンツォレルン王家の墓所がある。高さ114mもの大天蓋は第2次世界大戦で大被害を受け、1993年に内部の修復が終わった。
『Fernsehturm-テレビ塔』と『St. Marien Kirche-聖マリエン教会』
高さ365mの塔。203mの所にある展望台までエレベーターで昇れる。
入場料が約€10もするので入りませんでした(笑)
ポセイドン(ネプチューン神)の像。
『Nikolaikirche-ニコライ教会』
1230年建造のベルリン最古の教会。この教会の周囲はニコライ地区と呼ばれている。
近くにこんな像がありました。
『Checkpoint Charlie-チェックポイント・チャーリー』
西ドイツ・西ベルリン間の道路上の国境検問所は、A(アルファ)、B(ブラボー)、C(チャーリー)と3つあった。その中の1つです。冷戦後1度は撤去されましたが、現在は復元され記念撮影サービスまである人気の観光スポット。(米兵さんはなんちゃってです。)
後ろに見えるのが『Museum Haus am Checkpoint Charlie-チェックポイント・チャーリー博物館』
1961年8月13日のベルリン封鎖当時の市内の様子や、東側から逃れてきたときの色々なルートや手段がパネルや写真で紹介されているとのこと。入場料が高いので入りませんでした・・・・。
壁の残りがいくつか置いてあります。
REDマンが歩いていました(笑)
ベルリンの壁のギャラリー
分断時代の地図。中央の赤い○がチェックポイント・チャーリー。
ベルリンの壁があったという跡。
『Gedenkstätte Topographie des Terrors-テロのトポグラフィー前の壁』
野外展示になっています。ここは、ナチス時代にゲシュタポ、SS本部があった場所で恐怖政治の時代をパネルで展示している。この北側に沿って壁が残っています。
後ろに見えるのは観光用の気球・・・とは言ってもワイヤーで繋がっています。
150m上空からベルリンを見渡すことができるそうです。
壁が撤去された跡の路面に残された刻銘。
『Denkmal für die ermordeten Juden Europas-ユダヤ人犠牲者記念館』
ここには2711本ものコンクリート製ブロックがある。これらは全て虐殺されたユダヤ人に捧げられた記念碑なのだ。高さがまちまちのブロックの間は通り抜けられ、幾何学模様の迷路を歩くような不思議な体験ができます。
『Kaiser-Wilhelm-Gedächtnis-Kirche-カイザー・ヴィルヘルム記念教会』
1888年に死去したヴィルヘルム皇帝のために19世紀末に建てられたネオロマネスク様式の教会。1943年の空襲で破壊された。戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして修復せずに崩れたままの姿で保存されている。八角形の建物は新しい教会。
こんな感じで1人で半日歩き続けてきました。ニコライ教会からチェックポイント・チャーリーの間にベルリンの壁『East Side Gallery-イーストサイドギャラリー』というシュプレー川沿いの「Mühlenstr.-ミューレン通り」の壁も見てきましたが、約1.3kmにも及ぶオープンギャラリーのため改めて写真をUPしたいと思います。ではっ!!!!!!
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